京都市議会 2014-11-28 11月28日-03号
アメリカはかつて世界恐慌を克服するために,映画産業に力を入れ,映画と共に自国の車や家電製品等を海外に売り込みました。映画の映像を通してアメリカ国民の生活に溶け込んでいる車や家電製品をアメリカンスタイルという自然な形で売り込み,世界市場の開拓に成功しました。アメリカの映画による世界戦略と同様に,京都は,漫画,アニメ等のコンテンツ産業を活用して,京都の観光や伝統産業並びにその製品を売り込むべきです。
アメリカはかつて世界恐慌を克服するために,映画産業に力を入れ,映画と共に自国の車や家電製品等を海外に売り込みました。映画の映像を通してアメリカ国民の生活に溶け込んでいる車や家電製品をアメリカンスタイルという自然な形で売り込み,世界市場の開拓に成功しました。アメリカの映画による世界戦略と同様に,京都は,漫画,アニメ等のコンテンツ産業を活用して,京都の観光や伝統産業並びにその製品を売り込むべきです。
このガイドを本市のホームページで公開をしておりますし、また京都府とNPO法人映画産業振興機構が運営しておりますウェブサイトのロケスポ京都というものでも公開をしております。さらに本年3月には、選定スポットのパネルを作成いたしまして、市内循環バスに展示しましたロケバスギャラリーを実施をしております。
このバリアフリー上映は,障害の有無にかかわらず楽しめ,また高齢者にとっても分かりやすいということは,京都市のみやこユニバーサルデザインの推進に寄与するものであり,これからの映画産業の発展にとっても非常に重要な取組であると思っております。私は,映画発祥の地京都でこそ,このような映画のバリアフリー上映が浸透し日本に広がっていってもらいたいと切に願うものであります。
次に映画産業の振興についてです。1897年、実業家稲畑勝太郎が四条河原で初めての映画上映を行い、日本映画の父と呼ばれる牧野省三が二条城、等持院、御室に、阪東妻三郎が太秦に撮影所を構えるなど京都は日本映画発祥の地、ハリウッドと言われてきました。最盛期には京都で日本映画が年間160本以上制作され、京都の産業としてまちを支える力となっていたのです。
本市といたしましては11万人を超えた入場者の本映画祭に寄せられました熱い思いと力を生かし,日本映画発祥の地として,また長年培ってまいりました京都の映像文化の発展と映画産業の振興に寄与できる取組について検討してまいりたいと考えておるところでございます。
映画産業の斜陽化が言われて久しくなりますが,太秦は数多くの名監督や名俳優,そして名作を生み出してきた所です。今日においても映画村は京都の観光地としても大きな位置を占めております。今でも大映通商店街や東映撮影所前などではお昼時などどこかで俳優さんを見掛けたりもします。まだまだ映画にまつわる文化はしっかりと息づいてると思います。